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相対的人間

こんにちは

 

年末年始を実家で過ごし、

新たに自分のことがわかりました。

薄々気づいてはいましたが,,,

 

それは自分が

 

「相対的な人間」

 

だということです。

 

相対的な人間というのは、

人によって自分のキャラを変える

という感じですかね。

 

なぜそう感じたのかをこれから述べますね。

 

簡単にいうと、実家での自分が大学に行ってる時の自分と全く違うし、その自分が出せなかったからです。

 

大学は実家から離れた場所にあるため、親元を離れて生活しています。

ひとつ下の後輩3人と4人暮らししてます。

いわば、上級生。

大学でも最上級生なので、上はほとんどいません(修士の知人ぐらい)。

 

しかし、実家では3人兄弟の末っ子です。

特に今年は、近年珍しく兄が一緒にいる時間が長かったです。

 

僕なりの末っ子の特徴は、

①上を見て学ぶ。

②上(周り)と被らないように生きる。

です(他にもありますが割愛)。

 

①について

 

小さいときは、上の姉・兄の真似をして生きている末っ子です。

姉兄というのは、僕がこれから行うであろうことを先に行い、そして間違いを犯してくれます。

そうすると大人に怒られることもありますよね。

子どもは怒られるのがこわいです。

だから、「あっ、こうしたら怒られるのか」ということを学びます。

 

また、何かで失敗すると「そういうことをすると失敗するのか」ということ学びます。

逆に成功すると成功する方法を速く、また早く習得できます。

 

末っ子は常に、上を見て学んでいます。

 

 

②について

しかし、上と同じことをやろうにも

やはり上のほうが年の差があって、上に勝てないことがあります。

また、上の兄弟は参考にする兄弟がいないので、様々な生きる術を下の兄弟より自分で模索します。

すると、より洗練された方法を習得するんですよね。

末っ子はそれを真似ようにも、小手先だけの技術。敵わないんです。

 

すると、末っ子は上の兄弟とは違うことをしようとします。

上がしていないことは何か、それを見つけて生きていこうとします。

 

 

今回の帰省。

兄は僕から見て、完璧な息子でした。

今、大事な試験を控えているため、勉強に集中。その集中力は凄まじかったです。

昔からなんですが、集中すると声が聞こえなくなるぐらい集中します。

休憩するときは、リビングに顔を出し、親と気さくに会話し、素直な受け答えをします。

 

そして、少ししたらまた自室に戻り、勉強します。

 

 

そういう僕は、兄がやっていることが素晴らしいと感じつつも、それができなかった。

特に兄がいる時は。

 

どういう理由かは定かではありません。

そうした振る舞いをしても、兄のほうがうまい(?)と思ってしまってるから、負けを認めたくないからなのか、

それとももうその枠は兄がいるから、しなくていいと思ってるからなのか。

多分後者だと思います。

だから、空いてる枠は埋めました。

最近の年末年始は、祖母が実家に泊まりにくるので、【おばあちゃんの相手(孫)部門】は担当しました。

他にも【読書部門】【たくさん食べる部門】とかは担当したつもりです。

 

この部門は、多分自分が「実家でやったほうがいいこと」を参考に勝手に作ってるんだと思います。

 

そのなかで兄は絶対的でした。

上記のことなんて関係なく、自分がすべきことを純粋にこなす。

勉強すべきだから、勉強し、

気さくに素直に接するのがいいから接する。

普通のこと。

 

でも自分にはできなかった。

結構致命的だと思います。(笑)

違う理由かもしれませんが。

 

相対的な自分、補完的な自分。

就職とかで、どうしましょう?

自分の絶対的な軸が相対的だったら、それは絶対的なのでしょうか?

 

また、大学ver.の自分に戻ります。